Albireoではすべてのセッションに、シェアリングレポートを付けています。
セッションを行なっている間に、わたしが感じたこと、見えてきたことをメモして、その後も時間をかけて文章にしています。
セッションで見えたことは、先入観を入れずに、ただそのままお伝えしていますが、
ジェネシスヒーリングのバイブルとも照らし合わせて、この情報はジェネシスの原型の〇〇○だな、という感じでつなげてゆく作業や、
文章をまとめている作業中にも、瞑想をしたり、インスピレーションや情報が降りてくることもあります。
この時間や、事前の自己ワークや浄化時間も入れると、Albireoでは、かなりの時間を一つのセッションにはかけているかもしれません。
お客様からはそれだけの金額をいただいていますし、事前の地鎮、セッションルームの浄化から始まり、ヒーラー自身の浄化と活性、セッションに対する質問のやりとりへの対応などなど。(自営業ですので他にも3次元的にいろいろあります。)
その他にも、それこそ24時間365日休みなく高次との回線がオンになっていて、それによって様々なことを行うのがヒーラーという仕事だと思っています。
このようにして、セッションで降りてきた情報は、お客様のハイヤーセルフとの共同で行われたヒーリングの様子を綴ったもので、私はとても神聖なものと考えています。
そんな中、時々、お友達同士でセッションを受けてくれた方が、セッションの情報をお互いに見せ合っていらっしゃるのを拝見します。
わたしは以前からこのことには違和感を感じ、考えを巡らせてきました。
それが先日、一つの考えに辿り着きましたので、ここに記しておこうと思います。
もちろん、私の意見が絶対ということではありませんので、何か心に響くところがあればご参考までにお読みいただければと思います。
普通の、例えばひとつの過去生を扱うようなスピリチュアルセッションであれば、時にはご友人同士のシェアというのも有意義なのかもしれないなと思います。
ご友人との分かち合いは、楽しく、また安心感を感じられるものなのかもしれませんね。
ですが、Albireoで扱うのは「魂」の領域からの情報です。
ですので、セッションはご自分の内なる神との一対一の対話なのだ(ヒーラーはその仲介役)と考えていただき、しばらくはお一人の胸に止めておくのが良いように感じていました。
(ご家族さまなど、生活を共にしている運命共同体の場合はまた別の場合もあるでしょう)
なぜなら、魂の領域から降ろされたその神聖な情報が、ご本人によってある程度消化されないうちに、ご友人同士で感情的に扱われてしまうと、情報の質がやや重みを帯びたアストラル的なものに変質してしまうように感じたからです。
楽しい!とか、感動!などの喜びの感情であっても、やはりそれは「情」という重たいエネルギーには変わりないですし、そうするとせっかく受けとった高波動エネルギーの効果も、やや薄れてしまうのではないかと推測しています。
もし、何故かどうしてもご友人に話したくなってしまうのなら、それがインナーチャイルドの問題などに繋がっていることもあるでしょうし、そこも含めて、静かにご自身の内面と向き合う機会としてセッションをご利用いただけたらと思います。
また、魂の情報とは、その性質として常に、人々の意識に「進化」をもたらすものです。
ですから、私たちの近くで動いている、足を引っ張るエネルギーや、進化を妨げる存在に隙を与えてしまうことになる(無意識だったり、言葉には出さなくても、ご友人同士の嫉妬などの感情をフックにして入り込む)ということを考えても、やはり、セッション情報は慎重に扱うことがオススメ。
これはご友人様ともども、お互いのためでもありますね。
by Yew
コメントをお書きください