

こんにちは。
今日は、本当は別のこと、「利他とは何か」という書籍についてや、ジェネシスの新光線についてを書く予定だったですが、朝から上につつかれて、これを書くことになりました。
良かったら読んでみて下さい。
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最近Twitterで、人気の子育てマンガの作家さんが、大学生の娘さんにブログで告発されたという話題を見かけました。
私はその作家さんの作品を読んだことが恐らくほとんどないのですが、娘さんが嫌がっているのに、プライバシーを作品やSNSに書き続けたとのことで、成長した娘さんがその葛藤をブログに綴っていたのだとか。
私は常々思っていたのですが、SNSに子供の写真を載せるのはとても危険だと思っています。私はライトワーカーなのである程度の覚悟とプロテクトの上でやっていますが、SNSは決して治安のよろしいフィールドではないと思いますから、家族の情報(顔写真とかね)は安易には載せません。
詳しい事情はわかりませんが、利己で子供の情報を投稿していた方々には、この話題は一石投じてくれたのではないかなぁと感じました。
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アルガンザジェネシスヒーリング™️の原型の一つに「リラエルダー」という存在がいます。その名の通り、琴座の領域からやってきた大母的宇宙存在たちです。
このエネルギーとの関わりは、今世だと主として「母」との関わりに現れると思います。上記の漫画家さんの例は、そのかなり極端な表れでしょうか。(リラとは常に共に働くアンタレスなどの影響も感じました)
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ArganzaのAmariさんによると、日本社会は、非常に「リラ(大母)」のエネルギーが強い国なのだそう。それはジェネシスの歴史によって風土に染み込んだエネルギーからくるものだとか。
確かに、周りを見渡すと・・・家庭や企業・コミュニティなど、大小の組織がその機能になっていることが多い印象があります。
長年、嗜癖問題に取り組んでいた精神科の医師の書籍では、多くの企業が「子宮=おふくろ」のような機能を持って働く人々を守っているだけじゃなく(今は時代の流れでそうでもなくなってきたと思いますが)、夜には飲み屋さんでも「ママ」さんがお相手してくれる。そして家庭に帰れば「ママ」がいる・・・という日本独特の多様にして広範囲な「おふくろ」機能についてが書かれていました。
欧米では、夫婦は名前で呼び合うものだけれど、日本では子供ができると「お父さん・お母さん」あるいは「パパ・ママ」と呼び合うようになりますものね。そんなことも、このリラの影響の表れだと感じます。
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Arganzaジェネシスの原型たちは、それぞれの物語によって、リラのマザー(エルダー)との関わりを持っていて、それによって、今世でも何らかの感情的影響を受けています。
例えば、
アンドロメダ・自然界系の魂の場合は、抑圧を感じて調子を崩していたり、反対にとても心地よく感じて、温かいエネルギーの場から抜け出せなくなっていたり。具体的にいうと、この場合は変化や成長、自立を強く恐れてしまいます(無意識のことも多い)。
また、特に繋がりの強い方が、リラエルダーのエネルギーの影響をもろに受けると、幼児的な欲求の圧が高まって知らず知らずのうちに周囲を振り回してしまったり、自分の意見を何が何でも通したくなってしまったりするかもしれません。
ケルビムの人も、リラとシリウスの間で揺れ動いてきたという魂の記憶から、強い繋がり・葛藤があるし、シリウス系・エルの魂の人は天空都市から続くジェネシスの歴史の中で幾度も敵対してきてしまった記憶からやってくる、深いレベルの嫌悪感に苦しみます。
そして、この要素をいくつも併せ持つ人もいると思います。
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つまり「リラ」とはどのようなエネルギーかというと、色でいうと黄色っぽくて、あたたかくて、大きくて、面倒を見てくれて、癒される人もいる。けれども、いざそこから抜け出して人生に変化を望んだり、成長しよう、自立しようとすると、今度は強い圧力をかけられて、困ったり苦しんだり・・・或いは安心して囲われてゆく・・・幾度でも・・・というような感じ。
これは何も家庭の中だけじゃなく、職場やコミュニティ(ひいては各自の心の中)でも良くある現象だし、実際に、リラ系のエネルギーでワークや伝授をされているスピリチュアルティーチャーさんもおられます。
オキシトシンという出産に関係するホルモンがありますが、これはリラのエネルギーに関係しているのだろうと思っています。ですから、生物としては決して間違ったことではないわけですが、私たちに求められているのは、高次の器となることですので、これまで通り、あまりに人間的であることを全て肯定するわけにはいかない。激しい時代の流れがそれを物語っていますよね。
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さて、それでは、リラの抑圧からくる恐れに気づき、それを乗り越えて、(物理的に、急には無理でも、最低限精神的な)自立をし、現実的にも強い繋がりを解く過程はとても大事、その過程をしっかりと終えて、根強い嫌悪感を払拭できたら・・・、そこにはついに「和解」が訪れるかもしれないわけですが、、、ここでのポイントは、まず第一に、それは私たちが一人一人の心の中で行えばいいのだと。
つまり「母」について理解して、受け入れる。
これは「愛」によるものです。
高い愛といっても、高いところから見下ろすような心理で理解するのではなく、愛を持って下に立つような、自分と高次の愛による「理解」のあり方。
これは表面的だと決してうまくいきません。
ゆえに、先立って起こる感情の浄化は、ある程度大きなものになるという覚悟は必要でしょう。
そして、互いに分かり合えるという夢もみない方がいい。相手や外側の現象が変わることを期待するのは愛とは言えませんものね。
ただ、全くの他者として、ありのままの「母」を理解する=愛する。
共感を必要としない愛を持てるまでに、自己を高めてゆくということなのかもしれない。
そしてその愛とは、どこかに探しに行くようなものではなく、もともと自分の中にあるものなのだろうと、私は今のところそう考えています。
by Yew
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