シャドウセルフとは、ワケあって心の奥底へしまいこんだ自分の一部だというお話を、前回のコラムで書きました。
シャドウは、自分の中には到底あるとは思えないネガティブな(に見える)要素のことで、私たちは、これを自分の中に感じると、不安や焦りを伴う葛藤や自己嫌悪に陥り、また他者の中に見出すと、その人を嫌悪するようになります。
シャドウとなり得る性質は、わがまま、甘え、怠惰、幼稚さ、弱々しさ、ズルさ、怒りっぽさ、嫉妬深さ、嘘つき、高飛車、傲慢、依存、逃避癖、承認欲求の強さ、オドオドとした自信の無さ、夢見がちな雰囲気、、、などなど、その人の経験により様々。
他にもたくさんあることでしょうが、つまり非常に人間的な部分とも言えます。
シャドウかどうか見分けるポイントは、自分がその性質に、イライラや嫌悪感、見下している感覚、謎の焦りなど、不快感を持続して感じるかどうか。
そんな大嫌いで虫唾の走るような、決して見たくない「要素」が自分の中にもあるのだと、表面的にではなく、心から理解し認めることを、心理学では「統合」と呼びます。
そして、その嫌な性質を自分が持っていたと認識する以上に大切なのは、それを押し込めてまで、自分はものすご〜く頑張ってきたのだと認めることなんですよね。
これは、全身に光と力が漲るような体験です。自分の全体を理解することは、もう何者にも力を明け渡すようなことがなくなることに繋がるのですから。
では、統合された影はどうなるのでしょうか?
統合されたのだから、自分が自己中でずる賢く、怠惰で怒りっぽくなってしまうかというと、そうではありません。「気づき」という意識の光の中で、あなたに理解され認められた影は、その要素の良き面を静かに発揮し出すのです。
自己中心的な性質は、高い目的のために人の心を動かせるリーダーシップかもしれません。
怠惰は、頑張り過ぎずバランスよく休むことができる能力かもしれない。
嫉妬深さは、自分の価値を高めることへの熱量の現れかもしれない。
他人を欺くズルさは、真に大切なものを守るための賢さで、
弱々しさは、生き抜くために必要な慎重さの証、
逃避は、素晴らしい創作物を生み出すイメージ力になるかもしれない。
それらを身につけてゆく道のりもまた、影との戦い同様に、或いは、さらに多くの時間をかけて発揮されてゆくのかもしれないですね。
統合後も、意識が下がれば、また影が現れることもあるもの。影の要素が、行ったり来たりを繰り返しながら、高い現れとなって自らの行いの中に根付いてゆくことが、真の統合と言えそうです。
「統合」は一瞬の出来事ではなく、何年にも渡って続くプロセスなのであろうと。
ル・グウィン作の「ゲド戦記」では、影との戦い後のゲドが、大賢人となるもう半分の道のりがあったのではないかな?と、私は想像しているのです。
優秀な魔法使いであるゲドが作り出した影は、傲慢さや妬みの感情によるものでしたが、(力の強い「影」を作り出すなんて、ゲドは相当に謙虚なタイプだったと思います)さらなる高みである大賢人の役職を担うには、その性質の良き側面が必要だったのではないかと。
つまり「影」は、今後のあなたの人生が、その要素の高き側面を必要とした時に、目の前に現れる。
「影との戦い」は、より良く生きようと努力するすべての人々、メタフィジに目覚めた人々の宿命ですが、自己の全体性を生きるということは、喜びに溢れて世界に奉仕することに違いありません。
by ユウ